新型コロナのワクチンはなぜ1年で開発できたのか?|シリーズ製薬業界・医療業界を変える⼈たちに会ってくる|石井健教授

2020年初頭から世界で猛威をふるった新型コロナウイルスのパンデミック。その感染の広がりと患者の重症化にブレーキをかけたのが、わずかな期間で開発された「ワクチン」でした。これまで人類を苦しめてきた数々の病気を予防し、沢山の人の命を救っているワクチンとは、どのような薬剤なのか。東京⼤学医科学研究所 感染・免疫部⾨ ワクチン科学分野の⽯井健教授に、その開発の歴史から、最新のDNA・RNAワクチンの基礎知識までを伺いました。

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取材協力:

石井 健 さん

東京大学医科学研究所感染・免疫部門、ワクチン科学分野教授。1993年横浜市立大学医学部卒業。3年半の臨床経験を経て米国FDAで7年間、ワクチンの基礎研究や臨床試験審査を務め、2003年に帰国。大阪大学微生物病研究所准教授、医薬基盤健康栄養研究所ワクチンアジュバント研究センター長、日本医療研究開発機構(AMED)戦略推進部長などを経て2019年より現職。専門はワクチン科学、免疫学など。

免疫の2つの仕組みとワクチン

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──石井先生は長年にわたり、ワクチンの研究をされてきました。新型コロナウイルスのパンデミックをきっかけに世界的にもワクチンに大きな注目が集まりましたが、あらためて「ワクチンとは何なのか」解説いただけますでしょうか?

小中学生でもわかるように説明するときには、「ワクチンとは、バイ菌やウイルスなどの敵に似た物質を体に入れて、感染のまねをすることで、次に本当の敵が来たときに備える薬なんだよ」と話します。あくまで「感染のまね」で、ワクチンを体に入れても本当に病気になることはないというのがポイントです。

もう少し詳しく、ワクチンを社会人や大学生向けに説明するときには、「病原体の一部とともに、免疫反応を活性化させるためのアジュバントという物質を含む製剤です」と話します。アジュバントについては後で詳しくご説明しましょう。免疫反応とは、体の中に備わる、菌やウイルスと戦ってくれる仕組みのことをいいます。

免疫には2種類あって、最初に働くのが「自然免疫」という仕組みです。自然免疫は人体にとって敵になる菌やウイルスが体内に入るとすぐに働く防衛システムで、マクロファージや好中球と呼ばれる白血球の仲間が、菌やウイルスを食べることでやっつけます。風邪などの感染症にかかると熱が出ますが、それは自然免疫が敵と戦っている証拠です。鼻水や痰が黄色っぽくなるのも、その戦いで死んだ白血球が沢山含まれているのが理由です。

2つ目の免疫が、「獲得免疫」と呼ばれる仕組みになります。獲得免疫は、一度体の中に侵入した菌やウイルスの特徴を細胞が記憶することで、次に同じ敵がやってきたときに、効率的に敵を殺すシステムです。自然免疫はあくまで一時的に敵をやっつける仕組みですが、獲得免疫は何カ月も何年もの期間、体を守ってくれます。ワクチンというのは、この獲得免疫を人工的に体に覚えさせることを目的とした薬剤なのです。

──なるほど、獲得免疫はどのように敵である菌やウイルスを撃退するのでしょうか。

詳しく説明するとかなり複雑なので、簡単に端折って話します。まず菌やウイルスが人体に入ると、樹状細胞という免疫細胞が、敵の侵入を認識して「警報」を鳴らします。そのとき外敵の目印となるのが、「抗原」と呼ばれる菌やウイルスの一部です。新型コロナウイルスの報道で「スパイクタンパク」という言葉を聞いた人がいるかと思いますが、そのスパイクタンパクが新型コロナの抗原になります。

警報を受けて、攻撃開始の合図を出すのがT細胞という細胞です。T細胞の合図を受けて、B細胞という細胞が「抗体」と呼ばれるタンパク質を次々に作り、それを使って菌やウイルスを攻撃します。戦いが進んで敵(抗原)がいなくなると、T細胞が「攻撃やめ!」の司令を出します。免疫反応が必要以上に続くと健康な細胞も傷つくので、ブレーキをかける機能も非常に重要なのです。一度人体に侵入した抗原の特徴はメモリーB細胞という細胞が記憶し、2回目の侵入があったときには効率よく抗体を生み出せるようになります。これが獲得免疫のシステムになります。

ワクチン開発の歴史

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──免疫の仕組みについてよく理解できました。歴史的にどれくらい前から免疫の仕組みは知られていたのでしょうか?

獲得免疫の存在自体は、数百年も前から知られていました。人類の歴史の中でも、非常に多くの人が亡くなった感染症の一つに天然痘があります。中東やインドでは古くから、天然痘にかかって治った人のかさぶたをとって、赤ちゃんの肌にこすりつけると、天然痘にかからなくなることが知られていたのです。

──経験的に、獲得免疫の仕組みを天然痘予防に利用していたわけですね。

そのとおりです。1700年代にトルコのオスマン帝国を訪れたイギリスの上流階級の婦人が、スルタン(王族)の子どもたちがその治療を受けているのを見て驚き、国に戻ってからそのことを周囲の人々に話しました。聞いた人の多くは半信半疑でしたが、実際に研究したのがエドワード・ジェンナーという人物です。彼は「牛の天然痘(牛痘)にかかった人は、天然痘にかからない」という話を聞いて、牛痘の水疱からとった液体を、お手伝いさんの子どもに接種しました。そしてその後、天然痘患者の水疱の成分を打ったところ、子どもは天然痘を発症しなかったのです。今では許されない人体実験ですが、ジェンナーがその発見を論文にまとめて1798年に発表したことが、後の天然痘撲滅へとつながりました。

もう一人、ワクチンの開発の歴史で欠かせないのがルイ・パスツールです。パスツールはジェンナーの発見から約100年後に、病原体を弱毒化して安全にする方法を生み出したことで、現在のワクチンの基礎をつくった人物です。彼はニワトリに感染するコレラという病気の研究をしていたのですが、たまたま技術者が夏休みをとり、実験用のコレラ菌が入ったシャーレを2週間も放置してしまいました。しかしパスツールはそのコレラ菌を捨てず、ニワトリに打ったところ、ずっと元気にピンピンしているのを発見し、「病原体を弱らせることで、病気への感染力も弱らせることができる」ことを見出したのです。このパスツールの弱毒化技術によって、さまざまな病気に対するワクチンが開発されるようになりました。

──2人の発見があって、ワクチンが実用化されたわけですね。現在もパスツールの発見した、菌やウイルスを弱毒化して作るワクチンは、使われているのでしょうか?

はい、今のワクチンのうち、3分の1ぐらいは病原体を弱毒化して作る「生ワクチン」と呼ばれるタイプの薬です。ワクチンによって人類はこれまでに数多くの病気を封じ込めることに成功しました。代表的な病気が、天然痘、破傷風、ポリオです。「天然痘」でネットを検索すると、全身にぶつぶつと痛々しい発疹が出た子どもの画像を数多く見ることができますが、天然痘ワクチン接種の一般化以前、日本でも70年ほど前までは、天然痘を発症した子どもを見ることは少なくありませんでした。天然痘の致死率は20〜50%と極めて高く、ワクチンによって天然痘が根絶できたことは、人類の輝かしい達成と言えます。その他にも、狂犬病、インフルエンザ、結核、百日咳、麻疹、風疹、水疱瘡、HPV(子宮頸がん)などの病気の流行がワクチンによって抑えられています。一方で、最近ではその状態が「当たり前」となっていることから、ワクチンが提供する予防効果のありがたみを啓蒙していく必要があると、世界のワクチン研究者の多くは考えています。

なぜコロナワクチンは1年で完成したのか?

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──ワクチンには、生ワクチンの他にどのような種類があるのでしょうか?

生ワクチンのほかの代表的なものが、「不活化ワクチン」です。生ワクチンは病原体を「弱毒化」したものなので、感染性と病原性が残っていますが、不活化ワクチンは完全に「無毒化」し、病原性を失わせたタイプのワクチンになります。子どもが受ける4種混合ワクチンが、この不活化ワクチンです。不活化ワクチンは安全なのですが、デメリットとして免疫を獲得できる力が弱いので、複数回打つ必要があります。また、病原体が作る毒素をワクチンとするトキソイドと呼ばれるワクチンもあります。最近急激に研究と実用化が進んでいるのが、第3のワクチンと呼ばれる「DNAやRNAを用いたワクチン」です。

──新型コロナウイルスのワクチンは、「mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン」というタイプだと聞きました。いったいどういう薬剤なのでしょうか?

DNAやRNAは、生物を形づくる部品である「タンパク質」の設計図で、mRNAもRNAの一種になります。DNAワクチンやRNAワクチンは、タンパク質を作る設計図を人体の中に入れることで菌やウイルスの「一部分」を作り出し、免疫システムに抗原(敵)と認識させることを狙ったワクチンになります。世界的なコロナ禍という未曾有の事態に、わずか1年ほどでワクチンが開発でき、全世界の数十億人に接種が完了できたのは、RNAワクチンだったことが理由です。

──通常、医薬品が開発されて、臨床に使われるまでには何年もかかるのが普通と聞きます。なぜ新型コロナのRNAワクチンは、スピーディな開発が可能だったのでしょうか?

その理由は2つあります。RNAワクチンは先述のように「タンパク質の設計図」を作って体内に入れるというコンセプトの薬剤なので、通常の生ワクチン、不活化ワクチンに比べて圧倒的に早く開発できるのです。例えばインフルエンザワクチンは、毒性を弱めたインフルエンザのウイルスをニワトリの卵に入れることで増やして作ります。しかし大人1人に打つのに十分な量のワクチンを作るには卵1〜2個が必要なため、世界中の人に打とうと思えば数億、数十億の卵を使わなければならないのです。当然、それだけの卵を生むニワトリを育てる場所、餌、時間がかかることになります。
それに対してRNAワクチンの原料となる「タンパク質の設計図」は、ヌクレオチドと呼ばれるリン酸・塩基・糖からなる構造を実験室で作ることができます。小さな実験室で作ったワクチンを工場で大量生産することで、数十万、数百万人分の薬剤を圧倒的に効率よく供給できるのです。

2つ目の理由は「通常ならば順番に行う試験を、平行に同時進行で実施したから」です。ワクチンという薬剤は、病気の予防のために子どもにも打つわけですから、絶対に安全でなければいけません。自動車のシートベルトの生産と同じように、一つでも不良品が混じってはダメなのです。そのため通常は、何千人、何万人を対象とした、長期間にわたる臨床試験を行います。ワクチンの生産体制も徹底的に安全な環境にするため、ワクチン開発には最低でも10年はかかるのが常識でした。
しかし今回のコロナのパンデミックで、そんな悠長な時間をかけていたら、世界中で何億もの人が亡くなってしまう可能性があります。そこで臨床試験・生産体制の整備・配送や保管条件の確定など、「ワクチン開発でやらなくてはいけない試験」を順番に実施するのではなく、そのすべてを同時進行で進めていったのです。ただし、それができたのは、アメリカ、イギリス、中国、ロシアの4カ国だけです。

──なぜその4カ国は可能だったのでしょうか?

その理由は、その4カ国だけが世界の中で「生物兵器が自国に使われたときに備えて、準備をしていたから」です。それらの国々の政府は、新型コロナの流行以前から「パンデミックが起きたら戦争と同じような事態となる。その際にワクチンがいち早く開発できるかどうかが、国防上極めて重要になる」と考えていました。その結果、4カ国は開発したワクチンを世界に売ることで、外交においても非常に強い立場をとることができたわけです。「ワクチン開発力は国防の観点からも重要」ということを、日本の多くの人にもぜひ知ってもらいたいと思います。

ワクチンを向上させるアジュバント

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──先生は冒頭にお話された、ワクチンの中に入れる「アジュバント」を主に研究されていると聞きました。アジュバントとは何なのでしょうか?

アジュバントとは、「ワクチンの効果を増強する因子の総称」のことを言います。ラテン語の助けるという意味を持つ「アジュヴァーレ」という言葉が語源です。簡単に言えば、アジュバントを入れることで自然免疫の反応を高めて、強くするとともに、免疫が続く期間を長期化できます。さきほど、「不活化ワクチンは安全だが、免疫反応が弱いので複数回打つ必要がある」とお話しましたが、アジュバントを併用することで、不活化ワクチンの作用を強めることができます。生ワクチンは病原性が残っているため100パーセント安全ではないことから、不活化ワクチンをより活用するために、アジュバントの研究が必要となっています。

──アジュバントにはどのような物質が使われているのでしょうか?

鉱酸塩、毒素、油と水が融合したエマルジョン、バイオポリマー、植物成分(サポニン)など、いろいろな物質が確認されています。また病原体が持つ特殊な物質が、「病原体がやってきた」というシグナルになるため、病原体の一部である脂質、タンパク質、核酸、樹状細胞などが出すサイトカインという物質もアジュバントとして使われています。アジュバントのことを僕は「ワクチンの調味料」と呼んでいます。料理の調味料と同じように、ワクチンに上手に混ぜることで、それぞれのワクチンの良さを引き出すことができ、同時に余計な免疫反応を抑制することを目指しています。現在私の研究室では、AI(人工知能)を利用して、ワクチンの最新技術と多様なアジュバントの最適な組み合わせを解析する研究を進めているところです。

──新型コロナウイルスでは、ワクチンに対するデマや懐疑的な意見がネットを中心に飛び交いました。一方で、医学や生物学の最新知識がない一般の学生や社会人が、常に正しい情報を選び取ることにも難しさを感じます。感染症に関する正しい情報を得るためには、どのような心構えが必要でしょうか。

たしかに今回のコロナ禍では、ワクチン以外にも「納豆やヨーグルトを食べるといい」といった、いろいろなデマが飛び交いました。また初期には「BCGワクチンを打っている人はかかりにくい」といった意見もかなり広がりましたが、現時点ではデマとも真実とも言い難い状況となっています。医療に関する情報の判断が難しい理由は、一見「デマ」と感じられるような情報の中にも、いくぶんかの真実が混ざっているケースがよくあることです。例えば「温泉で湯治すると病気が治る」というのは科学的に厳密に検証されているわけではありませんが、体温が上がることで免疫力が向上することは事実としてわかっています。病気になって体が高熱になるのは、それによって病原体に対抗するためですからね。同様に、適度な運動をすると免疫力は向上しますが、逆にマラソンぐらいきつい運動をすると下がります。

そのように、ウソをウソと決めつけず、「真実」とされることも頭から信じ込まない、そんな冷静な視点が大切になるのだと思います。そういう意味で、今回のパンデミックのような事態のときには、「誰か一人の意見に頼り過ぎてはいけない」ということは確かです。ワクチンについて考えるなら、多種多様な意見について俯瞰して眺めるとともに、意見を述べている人の研究のバックボーンや経歴をきちんと確かめることが必要でしょう。学生さんや若い人は、SNSなどでデマ情報に触れやすい環境にありますから、ウソをウソと見抜く基本的な知識を身に着けておくことが大切だと思います。

私は医学部を出てから、最初は臨床医になりました。しかし現場で患者さんが感染症にかかり、多くの人が亡くなっていくのを見て、「より多くの人を救いたい」と考えたことから研究を志しました。そうしてアメリカに留学しマラリアの研究を始めて続けてきたことが、今につながっています。目の前のことを一生懸命やることの価値は、10年、20年経ってからでないとわかりません。本記事を読む若い方々も、ぜひ大学や社会で偶然出会ったテーマを大切にして、前向きに取り組んでいただけたら幸いです。

 

※本記事は取材により得た情報を基に構成・執筆されたものであり、運営元の意見を代表するものではありません。

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